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『つつじの館林 七福神めぐり』~館林のルーツを知る史跡巡り

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館林藩初代城主であり、徳川四天王の一人榊原康政や徳川五代将軍徳川綱吉、かつて館林に築城され今もその面影を残す館林城、館林一の観光名所であり、国の名勝に指定されている「つつじが岡公園」、茶釜に化けた狸が恩返しをする童話「分福茶釜などに縁が深い寺社を巡る事ができる『つつじの館林 七福神巡り』

先日私も巡ってきたので、情報をまとめてみました。

寺社仏閣や歴史好きの方には特におススメです。

概要

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名称:つつじの館林 七福神めぐり

日時:毎年1月3日~1月31日

   9:00~16:00

初穂料:

宝船色紙600円

宝船色紙に押す参拝印300円

七か所の参拝印が全部押してある宝船色紙:2,300円

問い合わせ先:

つつじの館林七福神会

群馬県館林市堀工町1570(茂林寺内)

0276‐72‐1514

住所及び連絡先:

茂林寺:群馬県館林市堀工町1570(0276-72-1514)

普済寺:群馬県館林市羽附町1691(0276-72-2037)

雷電神社:群馬県板倉町板倉2334(0276-82-0007)

善導寺:群馬県館林市楠町3692(0276-72-1257)

善長寺:群馬県館林市当郷町1975(0276-72-0099)

尾曳稲荷神社:群馬県館林市尾曳町10‐1(0276-72-1293)

長良神社:群馬県館林市代官町11‐37(0276-72-1542)

地図及びルート

※googleのルート検索では約17kmほどですが、公式では1周約25kmとされています。

 館林について

館林はかつて江戸時代には渡良瀬川や利根川の水運にめぐまれ、関東の物資を集めて江戸に運ぶ拠点として栄えたという歴史があります。重要な拠点であったがゆえに、館林城の初代城主は徳川四天王の一人、榊原康政であり、また、その後も徳川家が直轄しており、5代目将軍徳川綱吉公が城主となっていたこともありました。 

日本一と称されるつつじの名所「つつじが岡公園」や童話「分福茶釜」の舞台となっている茂林寺などが代表的な観光名所として挙げられます

館林市に関連する歴史的人物や観光名所に非常にゆかりのある寺社をめぐる事ができるのが「つつじの館林 七福神めぐり」です。

宝船色紙について

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宝船色紙は七福神をお祀りしている7寺社で、授与していただく事ができます。

宝船色紙に参拝印を押してもらえるのは七福神めぐり期間中(1/3~1/31)の9:00~16:00までなので注意しましょう。

つつじの館林七福神めぐりのスタンプ【注意】

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ちょっと紛らわしいのがこのスタンプ。こちらは御朱印ではないため、宝船色紙の表には押さないように注意して下さい。

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こちらのスタンプは各寺社の社務所の脇とか、門の前とかに設置されていますので、探してみて下さい。

私は神主さん達におススメされたので、宝船色紙の裏側に押してみました。

1.茂林寺(萩の大黒尊天)

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応永33年(1426年)に開山した曹洞宗のお寺。

狸が茶釜に化けて恩返しをする童話「分福茶釜」の舞台となっています。

境内やその周辺には大小さまざまな表情をもつ狸像が並びます。

このお寺自体が館林市の中でも一・二を争う観光地であり、境内に向かう参道にはお土産などを購入できる商店街があります。

※大黒尊天はインドの神で生産、豊作の神、右手に打ち出の小槌、左手で福徳の詰まった大袋を背負っています。

狸の置物がいっぱい

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2.普済寺(しだれ桜の布袋尊)

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大永3年(1523年)開創、曹洞宗のお寺。

5代目の花翁和尚は長尾為景の四男であり、上杉謙信の弟であると言われています。また、徳川家康の竹馬の友であり、今川氏の人質から脱する時に功があったとされています。

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境内には一説によると徳川家康が親木を植えた(今現存の桜は株分けされた2代目)と言われ、春の時期には枝垂れ桜が咲き誇り、しだれ桜の布袋尊とも呼ばれています。

※布袋尊は実在した中国の禅僧で弥勒菩薩の化身とされ、福徳円満の相が人々に福運大願を成就させます。福徳成就、大願成就の恵み。

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しだれ桜

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3月下旬~4月の上旬頃には見事な枝垂れ桜が見られます。

3.雷電神社(ロウバイ・椿の福禄寿)

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推古天皇6年(598年)創建の関東一円に点在する雷電神社の総本宮社殿、奥宮は県の指定文化財末社八幡宮稲荷神社は県内最古の木造建築物とされ、国の重要文化財に指定されています。

延宝2年(1674年)上州館林藩主徳川綱吉公の命により社殿の大改修が行われ、それ以後、徳川家三ツ葉葵の紋章を使うようになったといいます。

※福禄寿は南極星の化身とされ、その名は道教で強く要求される3つの願い「福」は子孫繁栄、「禄」は金運、「寿」は長寿の三徳を具現化したものとされる。

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なまずさん

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社務所には「なまずさん」がおり、撫でると地震を除け、元気回復、視力改善、自信が湧き出るなどのご利益があると云われ親しまれています。

板倉・館林名物なまず天ぷらのお店

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参道には板倉・館林地域の名物のなまずの天ぷらを提供するお店もあります。

4.善導寺(すみれ・しだれ桜の毘沙門天) 

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和銅元年(708年)に行基により開山されたとされる浄土宗のお寺です。善導寺はかつて館林駅前に建立されていましたが、館林市の都市計画に伴い、昭和59年に移転再建となり、平成2年に完成しています。

※毘沙門天は右手に宝棒、左手に宝塔を持っており、七福神の中で唯一の武将の姿をしています。もとインドの神で「多門天王」の事。仏法と仏法に帰依するものを守護する四天王のうちの一人で「信奉する積善の人に無量の福徳を与えて下さる神様」。

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初代館林藩城主であり、徳川四天王の一人榊原康政のお墓がある事でも有名

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山門

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水琴窟

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写真右の竹に耳をあてると神秘的な音色を聞くことができます。

庭園

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庭園もとっても素敵です。

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池には鯉がいっぱいいました。

5.善長寺(水仙の寿郎尊)

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大永三年(1523)に大雲惟俊大和尚によって開山。館林城主赤井孫七朗家範の開基によって創建されました。その後江戸時代になり、館林城主榊原忠次が祥室院の供養のため中興開基し伽藍の整備を行いました。創建当時の諸堂伽藍は文政8年(1825年)に火災で焼失しています。

※寿郎尊は白髪白髭の老翁で、不老長寿の神徳を授ける神。南極老人星の化身とされ、福禄寿と同一神とされる。

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お辻と松女の供養碑

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このお辻と侍女松は館林市一の観光名所つつじが岡公園に非常にゆかりのある方々です。

榊原康政の愛妾お辻の方は寵愛を一身に受けていましたが、それを嫉む他の妻妾の仕打ちに耐えられず、侍女のお松とともに城沼に身を投げたと言われています。康政がそのお辻を弔うために沼の丘の上につつじを植えた事が「つつじが岡公園」の起こりと言われています。

※つつじが岡公園は寺の南の城沼の先にある公園です。

善長寺鐘楼堂

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館林城主榊原忠次の母祥室院殿の墓

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参拝印をいただけるところ

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少し分かりにくいですが、参拝印はこちらでいただく事ができます。

6.尾曳稲荷神社(藤の弁財天)

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尾曳稲荷神社の創建は天文元年(1532年)当時の大袋城主赤井照光が館林城築城の際に、建立した事が始まりとされています。神社仏閣には珍しい西向きの社殿となっている事も特徴。

 

※弁財天は糸の汚れを払い、雄弁と財宝を授け、子孫を恵み、また学問と技芸の神であり琵琶がこの神の象徴。

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弁財天を祀った社

連座する赤の鳥居

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館林城築城の狐の尾曳伝説

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尾曳稲荷神社には館林城築城の「狐の尾曳伝説」という伝説が残っています。

当時この地域を治めていた赤井照光が、子供達に虐められている弧狐を助けると一人の老人が現れ、新たに城を築くことを勧められます。

翌日一匹の老狐が現れ尾を曳きながら城の縄張り(城の設計図)を示して城の守護神になる事を伝えて姿を消したといいます。

これを吉兆と思い、新城を築き、尾曳城(後の館林城)と名づけ本丸から鬼門の方角に稲荷郭を設け、稲荷神社としました

そのため、西向きの社殿となっています。

これが館林城の築城の際の伝説です。

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狐が神社の至る所にいるのはそういった言い伝えによるもの。

7.長良神社(銀杏の恵比寿神)

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長良神社は、館林総鎮守とされる当地の氏神。かつて上野国の国主としてこの地を治めた藤原長良を主祭神として祀る。没後に春日大社の末社として祀られた長良について、赤井良遠なる人物が上野国の佐貫荘長柄郷瀬戸井(現在の邑楽郡千代田町)に勧請したものが始まりとされ、当社は館林城を築城した赤井照光によってこの地に勧請されたと伝わる。

※恵比寿神は日本古来の唯一の福の神で、商売繁盛、縁結びの神としての信仰が厚い。

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まとめ

館林のルーツを知る事のできる『つつじの館林七福神めぐり』

参拝印をいただけるのは1月3日~1月31日の期間だけですが、それぞれ特色のある寺社で、館林のルーツを知ることができますので、期間外の参拝も寺社仏閣好きの方にはおススメします。

※あくまでも参拝するお気持ちで!