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「館林にちょっと豊かなくらしを」モットーに館林(とその近辺)のグルメ・観光・施設・イベント情報をお届けいたします。館林市の情報をまとめていきたいと思っています。

『歴史の小径』~館林駅からつつじが岡公園までの歴史感じる散策路~

館林市といえば「つつじが岡公園」というくらいつつじが岡公園を目的に館林市に来る方が多いかと思いますが、今回は館林駅からつつじが岡公園に徒歩で行く方におススメの『歴史の小径』を紹介します。歴史の小径沿い、その周辺のランチやスイーツのお店の紹介も入れていますので、併せて館林グルメも楽しんでみて下さい。

 1.歴史の小径とは

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館林はかつて江戸時代には渡良瀬川や利根川の水運にめぐまれ、関東の物資を集めて江戸に運ぶ拠点として栄えたという歴史があります。重要な拠点であったがゆえに、館林城の初代城主は徳川四天王の一人、榊原康政であり、また、その後も徳川家が直轄しており、5代目将軍徳川綱吉公が城主となっていたこともありました。まちなかにはその時代から続く街並みや歴史的風情にあふれた建物や、貴重な文化財が今もなお点在しています。歴史の小径はそうした館林の歴史を感じる事ができる散策路となっています

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2.竜の井

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徳川四天王の榊原康政が眠る善道寺の本堂前にかつてあった井戸。天正18年(1590年)に榊原康政の命により、駅前のこの地に移転させた際に、悩み苦しむ城沼に棲む龍神の妻が善道寺で行われた説法を聞いて感動し、迷いから救ったお礼にこの井戸の守り神として消えていったという伝説や、後述する青龍の井戸、城沼と繋がっているという伝説が残っています。※善道寺自体はその後、駅前の再開発により楠町に移転しています。

 

3.毛塚記念館

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江戸時代末期より酒蔵を営む毛塚家。屋号は「丸木屋(まるきや)」。館林の旧城下町に残る本格的な町屋の建物で、平成10年には国の登録有形文化財に指定されました。今は野辺町に工場を移転して「分福酒造」として今もなお日本酒を造り続けています。

もし中の様子をご覧になりたい場合には、下のVR画像で見る事ができます。下の画像をタップあるいはクリックしてぐりぐりしてみて下さい。

※こちらは館林市商工会議所発行の「館林うまいものMAP」からの情報を掲載させていただいております。「館林うまいものMAP」が気になる方は下の記事も合わせてどうぞ

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4.青梅天満宮

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学問の神様として知られる菅原道真が、太宰府天満宮に左遷させられた際に「東風吹かば、匂いおこせよ、梅の花、主無しとて、春を忘るな」(意:東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ。 私(菅公)がいなくても、春を忘れないでいておくれ。)と詠い、 4つの梅の実を枝に刺し投げ、花久里梅(島根県)、飛梅(福岡県)、四季梅(香川県)、青梅(群馬県)に飛んでいったという謂れのある神社。それぞれに天満宮の分霊を勧請し菅原道真を祀っており、青梅天満宮はその一つ。

5.外池商店

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外池家は江戸時代中期より近江から移り住み造り酒屋を営んでいましたが、明治31年より味噌と醤油の製造業になり、現在は酒の小売業を営んでいます。敷地内の「百々歳蔵(ももせぐら)」は築200年にちなんで命名されたとか。以前はコンサートなど文化活動の拠点としても使われていました。

6.旧二業見番組合事務所

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芸者の置屋と料亭の「二業」を取り仕切る事務所として使われていた建物。「見番」はそれらの取次ぎや料金の精算、取り締まりをしたところ。1階が事務所、2階は芸者さんの稽古場であった舞台付き36畳の大広間があります。この二業見番は、木造建築物として全国で数か所しか残っておらず、非常に文化的価値が高いことから、平成28年に国の登録有形文化財に指定されました。

7.青龍神社

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江戸時代にかつて福寿院というお寺の境内の中にあった井戸。伝説によると、この地に突然、清水が噴き上がり、中から女官姿の青龍権現が姿を現したという伝説があり、第六代館林城主の徳川綱吉公の生母桂昌院がその話を聞きつけ、青龍神社を建立しました。また、この井戸と「竜の井」「城沼」とが一つに繋がっていたという伝説もあります。

7.青龍神社と8.長屋門の間にあるお店「民ちゃん」の記事はこちら

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8.鷹匠町長屋門

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旧野辺町の豪農「松沢家」が使っていた長屋門の木材を使い、平成21年に武家屋敷の長屋門として新築された建物。両側の長屋の間に門があることから長屋門と名づけられました。長屋は通常昔は使用人の部屋や物置として使われていたもの。今現在は会議室などで使われ、市民活動の拠点となっています。

8.長屋門の北側にある「和み屋」とさらに北西側にある「やぎや」の記事はこちら

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9.武鷹館

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この建物の周辺は、江戸時代、鷹を飼育する鷹匠が住んでいたことから鷹匠町と呼ばれており、そこにある武家屋敷ということで一般公募により「武鷹館」と名付けられました。この建物は館林藩の中級武士がかつて武家屋敷として使っていたもの。旧館林藩士住宅は木造茅葺平屋建の建物で、部屋を横一列に配置する武家住宅特有の間取りが特徴です。平成11年に館林市指定重要文化財となりました。

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この周辺は道路も石畳で整備されており、歴史情緒あふれる雰囲気となっています。

9.武鷹館・10.土橋門の間にある「クレープBellBois」と「ロートルメゾン西ノ洞」の記事はこちら

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10.土橋門

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館林城の面影が残るこの門は、館林城の通用口として使用されていた門。明治時代の大火によって土橋門は一度消失してしまったのですが、昭和57年に城壁とともに復元されました。

11.旧秋元別邸

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館林藩の最後の藩主秋元家の別邸として使っていた建物で明治末期から大正初期に建てられたと言われている。主屋は木造平屋建て・瓦葺きの入母屋造り、離れ座敷の洋館は昭和初期に東京の本邸から移築されたもの。

まとめ

いかがでしたでしょうか。歴史好きの方や館林駅からつつじが岡公園まで徒歩や自転車で行く方におススメしたいこの歴史の小径。是非皆さんも利用してみて下さいね!